とある病院の中間管理職にある中年医師(勤務医)の日常を徒然に綴るブログです。今や社会的弱者になりつつある勤務医の日常をありのままに公開します。
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今、オジサンズとかいう番組があるそうな。
そこで先日大島麻衣なるタレントが、”おじさんが足をみることはセクハラだ。”なる発言をしブログが炎上したらしい。
ただ、ただ、失笑した。
見られてなんぼのタレントが、自分をみるなとのこと。
いわゆるアイドル系のタレントなど、年間1000人くらいデビューしている。
たまたま、大きな事務所に所属し、プロモーションに大きな額のお金をかけて貰えたから、媒体に露出できているだけだ。
芸能プロも当然企業。
だから、投資額を回収できないとわかれば、即次のタレントである。
どれだけ人気があるか知らないが、ブレイクしても2年でたいがい消える。
IT時代のおかげで、タレントの賞味期限は著しく短くなっていると友人が嘆いていた。
写真集をだしても、2-3日後にはどこかのサイトに違法に掲示され、ダウンロードできてしまうので、投資額が回収できないそうだ。
数年後売れなくなって露出度の高い写真集や役回りをしたとき、なんとコメントするのだろう。
そのタレントもタレントだが、芸能事務所がもっと悪い。
ちゃんとジャリタレを教育しないといけない。
日本の捕鯨がオーストラリア国内で訴えられ、違法行為との判決を受けたそうである。
捕鯨に対する西洋人からのつっこみには、大いに違和感を感じる。
もともと、江戸時代に鯨をおっかけてきて日本にやってきたのは、何を隠そうアメリカ人だ。
それが自分達の生活文化の変化でいきなり文句を言い出した。
そういうと彼らは反省というだろう。
じゃあ、なんでキミらは牛を食べるの?ちなみに私はBSEの問題から、牛は基本的に食べないようにしている。特にアメリカ牛は。もちろん、外食すると変な調味料なんかに牛エキスが使われているだろうから、100%freeではないだろう。
インドではご存知の通り、国民の80%はヒンズー教徒である。インド人は現在約11億人。したがって約9億人は牛を殺して食べるなんて言語道断と考える人たちだ。
今世界の人口が65億人らしいから約1/6の人が、牛を神聖と考えているはず。
じゃ、捕鯨反対の人口とあんまりかわらないのではないか?
結局、白人の考えることは全て正しいという人種差別的な発想がそこに存在するような気がしてならない。
食物連鎖の範囲内であればいいのではないでしょうか?
一つの生き物を保護しまくると必ず弊害がでてくる。
知床のエゾ鹿なんかそうでしょ?
まあ、彼らに及び腰の日本人は、やはりインドの人が国力をもっとつけてもらって西洋人に”牛食うな!!”って抗議してもらうしかないのかな・・・。
情けない。
15年以上前にmk3を購入した時は確か定価65000円で56000円くらいで買った気がする。
version upしてこんなに安くなるとは、やはりデフレの10年だったんだなあと実感した。
やっぱり、音が良くなった。明らかに。
思わず久しぶりにもう一台はmk3で廻した。
若い頃は、よくあんな空気の悪いところで長時間廻していたよなと思いつつちょっと楽しかった。
自分は基本的にMasters At WorkのLouie Vegaが大好きだった。
イベントで来日した時は必ず行ってました。
確か、ギリシアのミコノス島に行った時も偶然Louieが来ていて、現地のクラブでイベントしてたので朝まで騒いだことがあった。
最近はCDがちょこちょこ出ているのは知っているが、Remixもけっこうしているのだろうか??
Ciscoのサイトをまたチェックしてみよう。
今年はいい年にしたいなあ・・・。本音です。
一つ年をとる度に、楽しいことをひとつずつ失っていると感じたこの5年間ですが、ここから5年間は新たな楽しみを見つけたいものです。
日本の医療環境は非常に厳しいものがあります。
それは医療行政に起因し、バカなマスコミが販売部数のみを求めるがあまり嘘ばかりを書きたくりあおり魔女狩り的な要素を多分に含んだ現状となったわけです。その結果、権利ばかり主張するモンスターPtが誕生し、病院の中は悲慘な状況になっています。
昨日も、自由業を生業にしている方が病院で大声をあげ暴れていました。
その患者の単なるわがままなのですが、病院はその患者のいいなり。
善良な人間が損をする時代です。
今年は、こういった理不尽な社会が変わるきっかけになる年にして欲しいものです。
まあ、とにかく今日は A HAPPY NEW YEAR!!
我々の世代にとって、明石家さんまはBigになるreal timeに体験した世代だ。
今でこそ、東京でも関西弁は認知されているが、私が大学の頃、関西弁を東京で話すと見知らぬねーちゃんから”あの人関西弁しゃべってる”って後ろ指を差されたものだ。
しかし、さんまがメジャーになり認知されるようになり、関西弁をしゃべるとむしろもてたりするようだ。
時代は変わったものだ。
話はそれたが、さんまを初めて見たのは、”誰がかばやねんロックンロールショー”で形態模写のモノマネであった。当時、阪神タイガースの小林や掛布のモノマネをしていた。ちょうど、これがブレイクして大阪ガスのCMに出演し、”頼れるエースはアンダースロー”って曲を出していた。
その後、漫才ブームのときはコンビ漫才に押されていたが、淡々と漫談をしていた。
むかしの、そごうの一階で漫談をしていたときにたまたま通りかかり、この人は売れるなと思ったのを覚えている。握手をしてもらった。
その後、ラジオ番組は常にチェックしていた。オールナイトニッポン2部やヤンタンは毎週欠かさず聞いていた。
あれから30年弱の月日が流れたが、鮮度の変わりないトークを聞くと、すごい才能を感じる。
子供心に思ったことは確かだった。
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